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知識を共有することの大切さ
なかなか煮え切らない日々が続いている。 疲れてる?と聞かれるのは、肉体的ではなくむしろ精神的にプレッシャーを感じているからだろうか。 今日はGSMモジュールをテストしたいと思っていたが、ラティーフにLEDを使った看板をATmega328pを使って駆動する方法について尋ねられたので、そちらを手伝うことに。 22pFのキャパシタを彼に渡すが、16MHzの振動子は持っていなかったので、町で探すように伝える。 それにしても、自分が過去に持ってきたArduinoやAVRなどの部品はどこへ行ってしまったのだろうか。 何かものを作ったのでそれに使ったというのならわかるのだが、特に何か進展があるわけではなさそうだ。 もちろん教育現場であるので実験で使ってくれても良いのだが、誰かが取っていってしまったのではと疑ってしまう。 なあなあになってしまうとまずいとは思っているのだが、こういうのも少しずつ自分の精神を疲弊させていくようだ。 EAGLEで基板を設計してMODELAで作るように言うと、なんとMODELAの使い方がわからないという。何年もFabLabにいるにも関わらず、MODELAを使えないとは驚くべきことである。 ダグラスが教えてくれないからだ、とクムシンとラティーフが不平を言っているが、ダグラスの性格では彼に教えるようにいっても無駄だろうと思ってしまう。ただし、このままだとレーザーカッター以外のスキルが永遠に継承されないだろうという危機感も抱く。 これは、教材があれば解決する話なのだろうか。それとも、どうにかしてダグラスに教えさせるしかないのだろうか。 スティーブンとも話をしたほうが良いかもしれない。 その後はAVRをスタンドアロンのArduinoとして動かす回路図をホワイトボードで説明し、EAGLEを使った設計をプロジェクタを使って解説する。そしてcam.pyでrmlを生成するも、うまく動かないようである。 本当はUbuntuのインストールされたマシンでcam.pyを動かしたいのだが、以前はあったUbuntuのマシンがなくなっている。 どうしてこうも物がなくなるのだろうか。このようにして、できることがどんどん狭められていることは、本当にやるせない。自分が個人的に買って寄贈しても、また誰かが持って行ってしまうのではという気にもなってしまう。 その後はcam.pyはとりあえずあきらめて、クムシンにシリアル通信でPCからサーボモータを動かす方法を説明する。 Processingと連携させたり、Raspberry piにつないだUSB WebカメラとOpenCVで顔認識し、認識した顔の方向にサーボモータを振るというプログラムを作って見せると、喜んでいた。 だが、これでは単なる実験にすぎない。 自分は電子工作の実験がしたくて来ているわけではなく、この先に進みたいのだ。 夕方になって家に戻り、布団に横になるともう動けない。 何か突破口になるアイディアはないかと、思いを巡らす。 ふともっと身の回りの問題に目をむけるべきでは、と考える。 もっと言うと、自分が今日感じたようなFabLabの問題である。 知識の共有、機材のメンテナンスなどの問題は、何かハードウェアで解決できることなのだろうか。 ほとんど組織の問題に近い気もするので、もので直接解決できるわけではなさそうだが。 この問題群のなかから、今もっている解決手段で解決できることを抽出するのが、自分のやるべきことなのかもしれない。
作業初日は苦戦
朝起きるとタウンに買い出しに。 久々のトロトロに乗ると、普段60~70ペソワだったのが、1セディに値上がりしていた。コインより札の方がメイトも数えやすくて良いのでは、などと考えていた。 タウンに着くと、いつものAll needs supermarketに向かった。蚊取り線香やシャンプーなどを購入する。店内を奥へ進んでいくと、以前壁だった場所がくり抜かれて新しい空間ができている。2階への階段もあるが、まだ増築中のようだ。この一年間の変化は、以前の三年間を凌ぐペースに思える。 レジで使っているPOSを覗き見ると、Tally ERP9を使っている。昨年開発していたシステムでTallyへのExport機能というのがあったが、こういうところに目が行くようになったのは面白い。 MTNへインターネット用のSIMを購入しにいくも、パスポートがないと販売できないと言われて、一旦家に取りに戻ることにする。 トロトロから外の景色を見ていて、地名を記した青い標識が去年1年間に新しく建てられたものだということに気づく。Pipe anoやEffia Kumaを記した標識は今までなかったものだ。このおかげでEffiaとEffia kumaが別の地名だと初めて知った。 家に戻ってパスポートを取ると再びタウンに戻る。インターネットバンドルは6GBで80セディ(約20ドル)だった。前はもっと高かった印象があったが、これは日本の格安SIMに比べても安いのではと思う。その後You 84でフライドライスを食べる。 午後はFabLabで早速作業と行きたいところだが、家に戻るとベッドに横になった。まだ作業していないのに、体が休息を欲している。気温は暑いことは暑いが、灼熱というほどではない。照りつける陽射しによる消耗が激しいようだ。 少し休んでからFabLabに向かって、クムシンと今回つくるものについて話し合う。 まず遠隔制御の通信できる要素技術にはBlutoothやWi-Fi、GSMなどがあるよね、と話す。彼いわくIRセンサがガーナで手に入るので、それも候補に入れようと話す。ここまではなかなか調子がいい。 ただし、それで何を動かすか、という話になると途端にまずい感じになる。 例えば、以前別の学生がアクリルで作った自動ゲートのプロトタイプを指差して、あれを遠隔で動かそうと言う。そのプロトタイプは、CNCのように送りネジで扉を動かすもので、動くものを作ったという点では評価すべきなのではあるが、デモどまりというか、そこから先の展開がないのが惜しい所なのである。自分はプロダクトの製作を考えているので、自動開閉ゲートをつくるなら、フルスケールのモデルが欲しいのである。 レーザーカッターでアクリルを切って作れてしまうがために、どうしてもプロトタイプというものに目がいってしまうのかもしれない。もしかすると、工業高校のレベルではこの程度、という暗黙のリミットがあるのではという気もしてしまう。リアルに役立つものをつくろうというマインドの点では、工科大学の学生の方に軍配が上がるのだ。 (後で考えみると実はこれはこれでよく、何かその現状を逆手に取る方法があるのかもしれないと思ってもいる。) どうすれば高校生にとって実際のプロダクトをつくるというマインドが実感できるのだろうか。アブーのCNCのように、アクリルであってもフルスケールで動くものが作れるとは思うのだが。 本来であれば製作者の中から使い途の候補が湧き出てくる、というのが自分の主張している筋書きなのだが、当然のことかもしれないが、他の人の意見もとりいれたほうがよさそうだ。これにはクロードやアベル先生など、色々と口を出しそうな人がよいかもしれない。 また、ラボのシーリングファンをハックしようとこちらから提案すると、それはやめてエレクトロニクスラボのACモーターを実験用に使おうという。それはわかるのだが、自分が言いたいのは、要はプロブレム・ファーストであって、もしACモーターを使って実験できたとしても、それを使って何をするかという議論が起こってスタックするのは目に見えている。最初から特定のアプリケーション、つまり出口を設定してから攻めないと、事前の仮説が検証できないだろうと考えているのだ。 その後は持ってきたBlutoothのモジュールのPINをリセットしようと悪戦苦闘していると、無為に時間が過ぎてしまった。他にも秋月で買った40AのSSRキットの基板が間違っていたこともあり(勘弁して欲しい)、少しすすめる手順を整理した方が良さそうだ。 そうこうしていると、ジョンたちがラボに来たので、持ってきた部品を端数をまけてまけて3,800セディで売ることにした。月曜が祝日で(独立記念日であろう。去年はこの日に帰国したのだ)、次に銀行が空くのが火曜日ということなので、その日に代金を回収する運びとなった。 作業初日はかなり疲れてしまったが、まだ始まったばかりなので、気を取り直していこうと思う。 クムシンが顔認識技術に興味を持っていたので、明日はラズベリーパイを使った顔認識の実装を試してみようと思う。正直どのように使えるかわからないが、製作者が興味を持った部分を大切にして、関心を失わないようにすることが大事なのではと思っている。
ガーナの変化
両替と携帯のSIMの購入を済ませると、タコラディ行きのトロトロに乗るためにカネシへと向かう。 為替は1ドル3.9セディだった。1年前は3~3.3くらいだったと思うが、すごい勢いでセディが安くなっている。 カネシに向かう途中でRing road cetralを通っていると、遠くサークルの方に大きな坂が見える。 もしやと思って近づくと、なんと高架の道路を建設中である。ウガンダのカンパラも交通渋滞解消のための高架を計画中であり、いつできることやらという話を聞いていたが、こちらは1年で一気にできてしまった。なんとも景気が良いのだろうかと思った。 運転手にこの道路は初めて見たと告げると、これはブラジルの建設会社だよと言われる。よく見ると、「queiros galvao」というポルトガル語風の会社名を記したロゴが道路に刻印してあった。 //DSC1710.JPG// タコラディまでのトロトロは28セディ。荷物でさらに10セディとられたが、今回はバックパック、スーツケースにさらにインバータを入れたバックパックと荷物が多いので、致し方ない。 タコラディまでの陸路は何度も通っているが、見たことのある景色かと思えば、全く見たことのない場所もある。 Effiaの辺り(Effia Kumaとは異なる)は、ガソリンスタンドが多くあり、前面がガラス張りになった2階建てのオフィスビルなど、新しそうな建物も見られた。 また線路沿いではショベルカーがせわしげに稼働しており、建設業の人々が多く働いているのを見ると、ガーナ全土で建設ラッシュなのかとも思ったりした。 アーチのようにかかる街路樹の中には赤い花が咲いていたが、あれはなんという名前の花なのだろうか。 T.T.Iに到着してファブラボに一歩入ると、ラティーフ、クムシン、アイザックが迎えてくれた。みんな私服を着ていたが、ラティーフとクムシンは去年卒業したらしい。ラティーフはTTIの電気技師の退官に伴ってここで雇われる予定だそうだ。クムシンは仕事はしていないが、進学を考えているとのこと。200セディで購入したという、モニターに傷が入った中古のラップトップでProcessingのサンプルを動かして遊んでいた。電源コードを分流して自作のファンにつないでいたのは、彼らしいことだ。 //DSC1734.JPG// ほどなくしてエマニュエル先生とスティーブンがやってきた。結婚おめでとうと言われる。そう言ってもらえるのは率直にうれしかった。 深センからはるばる持ってきた5000Wのインバータを開封して彼らに見せると、屋上に設置しようと話している。以前太陽電池パネルを屋根に設置すると言っていたが、そこからバッテリを介して接続するのだろう。 //DSC1713.JPG// ジョンとアベル先生は今日はもう帰ったとのことなので、持ってきた電子部品は明日渡すことにする。 宿舎に到着すると、スティーブンが次のように言った。自分のために用意してくれた部屋には使えないエアコンがついていたが、今日の午後、エマニュエル先生が突然思い立ってそれを外すように命じた。今そのエアコンの設置口にはぽっかり穴が開いているので、木の板でふさごうという。しばらくするとラティーフとスティーブンが板を持ってきて釘でふさいでくれた。次に帰ってくる頃には新しいエアコンがついてると思うよ、とも言う。以前はエアコンなど望むらくもなかったが、それは楽しみな話である。 //DSC1717.JPG// 穴の修繕を待っている際に、電気の状況はどう?とラティーフとスティーブンに聞くと、なんと改善されたという。その理由が驚くべきであるが、今年の11月に選挙があるためであるとのこと。国民の支持を集めるために頑張っているらしいが、頑張ってできることなら常にやってほしいと思うのは自分だけだろうか。 部屋にはいるといつもの故障したブラウン管テレビではなく、BRAVIAが置いてある。地上波はアナログ/デジタルとも見れないが、備え付けてあるチューナーで衛星放送を受信できるようだ。以前はそもそも電気がないのでテレビなど見ようと思わなかったが、楽しみが一つ増えたのはよいことだ。 蛇口をひねると相変わらず水はでない。バケツに水が組んであるが、バケツ一つでは足りないだろうな、と思った。 蚊よけのスプレーを撒いて、再びラボに戻る。 ラボに戻って最近の状況を聞くと、昨年作ったものとして、道路に設置する発電装置のプロトタイプを見せてくれた。道路を通過する車両の重量によってプレートが下に沈みこむが、この垂直変位をラックピニオン機構で回転力に変換してダイナモを回すという仕組みである。 //DSC1718.JPG// アイディアとしては面白い。が、発電後の整流回路や、そもそもアクリルで作っているために構造強度が考えられていない点が目についてしまう。これは自分がこの1年で機械設計の仕事をずっとやってきたからだろう。協力していただいていたHONDAの技術者の方と議論する中で、プロトタイプという言葉の定義が自分のなかで少し変わってきたこともある。 さて、見せてもらった発電装置は、機械科のクロード先生がアクラで同じものをみたという。彼に話を聞きに行こうと言うことで、機械科へ向かう。機械科ではメンサ先生と再会した。寡黙で怒ると怖いというイメージがあるが、温かく迎えてもらった。まあみな良い人たちである。 クロード先生に件のアクラで見た発電装置の写真を見せてもらったが、動画がないことからすると、これも本当に動作するかは疑わしいところである。ガワを展示会に出展して注目をあつめる、というのが常なのかもしれない。 クロード先生は数カ月前にフフパウンダーを作ったといって写真を送ってきてくれたのだが、今どこにあるのと聞くと、どうやらPolytechnicの学生が作ったらしい。ポリテクにあるから明日見に行こうと言われる。 機械科をあとにすると、世界銀行の支援で作られたという石油採掘用のシミュレータ室(Drilling console)を見せてもらった。なかなかお金がかかっていそうな雰囲気である。スティーブンが動かしてみようかというのでお願いすると、ひととおり機能を見せてくれた。使い方はUSのメーカーの技術者が直接講習を開いてくれて覚えたそうだ。ただし、より詳細な使い方についてはさらに講習を受けないとわからないとも言っていた。このシミュレータを使った実習を受けに来るのはTTIの学生ではなく、卒業生や現場の技術者らしい。 //DSC1730.JPG// 同じ部屋ではダグラスが電気工学の個人講習を受けていたが、どういう目的で受けているのだろうか気になった。純粋に学究的好奇心で受けているわけではないと思うけど。 ラボに戻るとクムシンのラップトップにPythonや他のソフトウェアをインストールして過ごした。VisualStudioも入っていて、OpenCVの使い方を教えてくれという。自分で1ヶ月くらい試したが、難しすぎるとのこと。大学入学前のレベルでそれはそうだろうなと思ったが、明日やってみようと話した。 18時を過ぎてラボを後にしようとすると、スティーブンが話があるという。ラティーフとクムシンには席を外してもらって、ダグラスと3人で話をする。ジョンとアベル先生に買ってきた電子部品のことについて、忠告があるそうだ。 彼らとの話の中で、知らなかった事実が多く明らかになったが、まず、アベル先生が自分に頼んだ物品はTTIの仕事とは関係ないとのことだった。どうやら主にポリテクの学生に対して販売しているらしい。まあそれ自体は良いのだが、スティーブンたちが気にしているのは、前回GSMモジュールを送った時の代金を自分が回収していないことらしい。DHLで送料のみで250ドルくらいかかったやつのことだ。本体はeBayで60ドルくらいだったかな。正直に言ってもう忘れてしまっていたし、あのときの心境としては誰かのためになるならと損をかぶってしまっていたのだが、現地の人たちの間でアンフェアだとの声があがるようであれば、きちんとしなければならないなと思った。 … Continue reading
ガーナに帰還
アムステルダムを経由して再びガーナはアクラに辿り着いた。 警戒していたコトカ空港での入国プロセスも、入国審査及び荷物チェックも以前より改善されている感じである。 空港の出口付近で係員にオフショア?と聞かれたが、オフショア開発というよりはオフショア金融のことを指していたのだろうか。 アクラではいつものように竹内さんにお世話になった。大変感謝である。 空港からアクラ市内に出る車内で夜の町並みを見ていると、何とも落ち着いた気分になる。 初日の晩は竹内さんの同僚の方々との食事にも同席させていただいて、楽しい時間を過ごすことが出来た。 さて、アムステルダムとは打って変わってアフリカの暑さである。 やはり気候が温かい方が思考も開放的になって、楽しいアイディアが浮かんでくる。 今回の滞在は2週間と短いが、前回のようなシビアなノルマが無い分、自由に動けそうである。 今回は可能ならばグループワークを通してグループ内でのインタラクションや、グループ間での競争が機能するか、という点も見てみたい。 以前にアイディア生成のグループワークをやったことはあるが、今回は実装も含めた本来のハッカソン形式にすることができればと思っている。 また、ジョンが提案しているGSMモデムを使った製品(まだ何をしたいのかよくわかっていないが)のプロトタイプを使って、実際に売り込みをかけることも期待している。 フフパウンダーでは進むことのできなかった、次のステージを見てみたい。 これからインターネットのバンドルとSIMを購入してタコラディに向かう。 暑い時期なので体には気をつけて今回の滞在を過ごすことにしよう。
飛ばない飛行機
3/7 (Sat) ・昼の便でキガリに向うため、空港へ ・色々な国に行ったが、コトカ空港の出発審査は自分が見た中では一番腐敗している 出発ゲートに辿り着くまでに平均3人の係員に賄賂を要求されるのが常である 今回も受難が待ち受けていた ・まずエボラ熱の関係で新たに設けられた検疫ゲートで、黄熱病のワクチン接種証明書であるイエローカードを見せると、カードの右端が破れていることにおばちゃん係員がイチャモンをつけてきた 「反対側の半分が無いからこの証明書は無効だ。残念だがガーナを出国させるわけにはいかない。ガーナから飛びたかったら金をよこせ」とのこと ここで不運にも、もしかしたら反対側を落としたかもしれないと錯覚してしまう(実際にはそんなことはなく、ただ単に端っこが破れているだけだったのだが) ・賄賂は渡さないと決めているものの、女性の係員に賄賂を要求されたのが初めてで動揺したこともあり、不覚にも20セディを渡してしまった ・飛行機に乗り込み、誘導路を進むも、着陸待ちなのかなかなか離陸せずタクシーウェイで待機している あと機内がやけに暑く、汗が噴き出してくる 離陸すれば涼しくなるのかな、などと考えていた ・定刻をしばらく過ぎてやっと滑走路に進入し、離陸のサインが点灯するが、なぜかパイロットがエンジンのスロットルを上げない 滑走路を徐行で渡り切ると、不思議にもターミナルの方に引き返していく ・ここで、機内空調が作動しないトラブルが発生したという旨の機長のアナウンスがあった エンジニアが点検するのでエプロンでしばらく待機するとのこと ・その後機内では水が配られたりしていたが、30分くらい経ったところで機長から全員降機せよとのアナウンスがあった ・出発ゲートに戻り、再度待たされる この時既に1時間半が経過しており、ナイロビでのトランジット時間は3時間であるため、間に合うか?と心配になってくる ・ベンチで寝ていると、3時間ほど過ぎたところでケニア航空のスタッフがフライトをキャンセルすることを発表した 結局機材トラブルを解決できなかったとのこと 乗客が怒り狂い、スタッフに詰め寄っていた 暑い中ひたすら待たされた後でのキャンセルだったので気持ちはわかる ・本当にケニア航空には毎度トラブルがつきまとう 前回使った時も、ナイロビ空港でスーツ−ケースをどこか別の空港に送られた ・最終的にキャリアが用意したホテルに案内されることになった シャトルバス内では早くバスを出発させろという客と、残りの客を待ってやれという客の間で喧嘩が始まった ケニア人、タンザニア人、ガーナ人あたりの国際紛争になっていたが、”Can you just shut up”とか”I am wiser than you “とか、ハイクラスにも関わらず小学生レベルの口喧嘩だったのが興味深かった 聞き耳を立てていると彼らは投資家、国連関係、保険・金融関係の仕事をしているようで、アフリカ人の金持ちはやっぱりこういう職業なのかと感慨深かった ・ということで、明日の同時刻の便でキガリに向うことに